愛するというのは、

愛するというのは、もとめてできることではない。
 
 

 

 

気がついたときには愛しているのだ。
 
 

 

 

ふと視線を感じてふり返ったときに、一瞬合った目と目。
 
 

 

 
その運命の瞬間から相手が気になりだしたとき、苦しみが始まる。
 
 

 

 

愛には独占欲がつきものだし、それを失うことを恐れて、たえず確証が欲しくなるからだ。
 
 

 

 

そういう愛は、今でははやらないとも言う。
 
 

 

 

苦しみを伴う愛などはダサい、と言う。
 
 

 

 

だから、苦しまない程度に、距離を置いて愛するのだと。
 
 

 

 

ほんとうだろうか。
 
 

 

 

そんなことが、できるものだろうか。
 
 

 

 

わたしには信じられないし、それでは愛していることにはならないのではないかという疑問を、どうしても棄てきれない。
 
 

 

 

たえず、その人の顔を見ていたい。
 
 

 

 

その人のそばにいたい。
 
 

 

 

はたして、気持ちが変わないだろうかと不安になる――――――― こういうことのない愛が、愛の名に値するのだろうか。
 
 

 

 

いったい、いつから、人はそれほど強くなったのだろうか。
 
 

 

 

孤独に耐えられるようになったというのだろうか。
 
 

 

 

そんなことが起こるとは信じられない。
 
 

 

 

いつから、女を、男を、美しいと思い、その首筋に、人ごみの中でもそれと分かった髪の一筋の揺れに、心をかき乱されるといったことが、なくなったのだろう。
 
 

 

 

やはり、そんなことが起ころうとは信じられない。
 
 

 

 

そんなことになったら、不幸ではないか。
 
 

 

 

苦しみとともに、楽しみもなくなってしまうよ。
 
 

 

 

あるいは、愛も能力のうちで、すべての人にあたえられているわけではないのかもしれない。
 
 

 

 

それなら、その能力を大切にしよう。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梅里

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