愛が一瞬の

愛が一瞬の表情から生まれることがある。

 

 

 
それは、顔を合わせたときとはかぎらず、夢中で喋っているときとか、仕事をしているときなどを人に見られている瞬間にも起こりえます。

 

 

 
などと書くと、安っぽい雑誌の記事みたいになってくるが、そういう記事にももちろん数パーセントの真実はあって、だから買う人がいるのだということは認めなくてはならない。

 

 

 
考えてみれば、くりかえし同じことを言っているにすぎないのだが、こういう問題は人類の歴史とともに古いにきまっている。

 

 

 
愛情の問題ばかりは人が生きているかぎり絶えることはありえず、だれだって愛されたいと思っている。

 

 

 
どんなに難解な思想も、人間が考えたものである以上、究極は孤独と愛情という人間的な問題に帰するにちがいない。

 

 

 
高級に聞こえる議論をしている人だって、一人になったときの気持ちを想像してみればいい。

 

 

 
みんな頼りなく、寂しいのである。

 

 

 
この孤独感が、相手の気持ちを想像できない独善的な支配欲に転じると、変態性欲が表面化したり、独裁者になったりするのだろう。

 

 

 
こういう人間は困る。

 

 

 
愛のきっかけは表情だと言ったが、それよりも雰囲気と言ったほうがあたっている。

 

 

 
表情は雰囲気のひとつにすぎまい。
 

 

 
声もある。

 

 

 
その高さ、低さ、話し方の速さ、遅さ、抑揚、、、こういうものがみんなからみあう。

 

 

 
立ち方、座り方、歩き方といった姿勢にも人柄は出る。

 

 

 
美しい知的な顔だちの人なのに、笑ったとたんに冷たさが覗いて興ざめしたといった経験は、だれにもある。

 

 

 
一瞬で人間がわかってしまう。

 

 

 
顔かたちやスタイルはよくなくても、心根のやさしさ、思いやりといったものはやはりわかって、友達ができる。

 

 

 
どっちもダメというばあいでも、これを自覚していれば救われる。

 

 

 
自己愛ばかりつよくて思いやりがない人には、魅力など感じようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

梅里

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